第2章 知財業界は、面白くも、苦しくもある

0. 「高度経済成長期」での良き時代を体験

  1966年、発明くんは、株式会社リコーへ転職することが出来た。1927年に理化学研究所が「陽画感光紙」を発明し、これを販売する会社が財団法人「理研光学工業株式会社」で、この「理」と「光」を合わせて、「株式会社リコー(1963年)」となったことは知っていた。

発明くんの夢は、潰れない大企業で定年まで安心して働くことであった。おまけに(株リコーは、超有名企業である。発明くんが入社できたのは、リコーの業績が停滞していた時期があ ったため社員の補充が十分に出来なかったからだと聞いている。発明くんには運があった。

発明くんは、リコー複写機(リコピー)の保守部門(東京サービスセンター)へ配属された。サービス部門の拠点は、銀座にあった。まさか自分が、誰もが憧れる銀座で働けるとは夢にも思わなかった。バラ色の人生が、ここから始まった。

  土曜日は半ドンで「銀ブラ」を楽しんだ。彼女でもできれば、あなたと私の合言葉「有楽町で逢いましょう(*)」が実現できる。当時、発明くんは夜間大学へ通っていたが、通学する前の、この時間が、とても貴重であった。(*)フランク永井のヒット曲で、ラジオを聞きながら東京に憧れていた。

  真面目に出社さえしていれば、給料は毎年 4 月には上がる。年2回、ボーナスが支給される。しかも福利厚生施設は万全で社員食堂、社員寮、保養所、社宅、そして部活の総合グランドまであった。更に社員親睦の行事として、運動会、盆踊り大会、社員旅行と至り尽くせりである。驚いたのは社員の持ち家を奨励しており、住宅ローンのお世話から利子補填まで面倒を見ていたことである。定年まで勤めれば、老後は安泰である。大きな退職金が払われ、企業年金まで受けられる。

  発明くんの仕事は、ジアゾ式湿式型複写機(*)の修理である。都内のあっちこっちと出かけて行く楽しい仕事である。うまく修理ができれば嬉しいし、できなければお客さんの顔が曇る。技術不足で先輩の手を煩わす事が多かったが、面倒見の良い先輩たちに助けられた。

(*)ジアゾ複写機とは、アンモンニア液を使用する乾式タイプ(青焼きとも言われる)と現像液を使用する湿式タイプがある。いずれも、感光紙を必要とする。

  当時のジアゾ式湿式型複写機は、高度な技術が集積されていないので修理を覚えるのは難しくはなかった。光源の水銀灯を使うための変圧器,熱くなるので冷やす為のフアンモ-タ、焼き付け速度を変えるための可動式抵抗器、交流を直流に変える整流器,そして紙を運ぶベルトとロ-ラの組み合わせである。壊れる個所も消耗部品も決まっている。最新の複写機であれば、発明くんは新しい技術に追いつけず、即リストラされていたであろう。

  1965年に発売された「電子リコピーBS-1」は、当時の業績不振から(株)リコーを救った立役者となった。デスクトップ機として世界で初めて原稿載せ方式を採用した。シートだけでなく冊子や書籍など「なんでもコピー」の時代を作り上げた。(株)リコーが本格的な世界進出への道を切り開く原動力にもなった。

  電子リコピーは、原稿を上面ガラスに置いて複写できるタイプで、使いやすさが受けて大ヒット商品となった。オフイス用途に適した PPC 型複写機(*)が登場されるまで、複写機市場を牽引し続け、世界中に輸出してきた。

(*)PPC複写機は、普通紙への画像形成を可能とした複写機。狭義には転写(間接)型電子写真法を採用した複写技術。

  当時、PPC 型複写機は米国ゼロックス社が世界市場を独占していた。複写機の図体が大きく場所を取ること、維持コストが高いという課題があった。小型で使いやすく、維持コストが抑えられる PPC 型複写機の開発が望まれていた。

  しかし、米国ゼロクッス社の特許網は強固で、その市場に参入することが困難であったという。発明くんが「特許」という言葉を初めて聞いたのが、多分この頃だと思う。しかし当時は、「特許」について関心は無かった。

  1970 年、国産初の普通紙複写機キャノン NP1100 が誕生した。リコーは、1972年、普通紙複写機「リコーPPC・900」を発売した。

  普通紙複写機の開発は苦難であったが、名もなき技術者達の「技術者魂」が、今後の日本の「物つくり」企業に受け継がれていくことに大きな期待をかけた感動のテレビドラマが再放送された。かつての良き時代が懐かしく見入った。

NHK プロジエクト X キャノン「最強特許網を突破せよ
新コピー機開発ドラマ」 2022年4月19日(火)再放送 BS-3

  普通紙複写機(コピー機)で世界 100%のシエアを誇っていたアメリカ企業。その鉄壁の特許網に挑み、新方式のコピー機を作り上げたカメラメーカー社員たちの壮絶な戦い。

  昭和30年代アメリカの企業が世界初の普通紙複写機(コピー機)を販売し、世界シエアの100%を握った。鉄壁と言われた特許網に挑んだのは、日本のカメラメーカーの社員たち。数百件、数千ページに及ぶ英文特許の山が立ちはだかった。コピー機は、物理・化学・電子・機械の最先端技術の結晶。複写プロセスは多岐にわたり、すべての過程において技術者達は一から技術独自を創造していく。技術者と特許マンの逆転ドラマ。『 NHK 「プロジエクト X」第101回 2002年11月5日放送 突破せよ最強特許網 新コピー機誕生(司会):国井雅比古、膳場貴子 (語り):田口トモロヲ 』

発明くんイラスト