第3章 知財業界から学んだ「身のほど」経営

0.世の中が変われば、何もかもが変わる

  長く会社経営をしていると、さまざま社会変化に出会う。昔のようにゆるやかな社会変化であ っても、その変化に対応しきれず倒産する会社はあったが、それにしても今の社会変化は早すぎる。しかもその変化の内容が、これまでの延長線上のものではなく、全く違う内容のものが忽然と現れてくる。

  世の中は変わった。世の中が変わると、いろんなものが変わる。市場の変化、商売のやり方、つまりビジネスのやり方が変わる。だから会社も変わらざるを得ない。組織も変われば、当然そこで働く人も変わらねばならない。これは仕方のないことである。なにがどう変わったのか、いろいろとある。

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0-1.会社が、経営が、変わった

  会社経営が変わった要因はなにか、これまでの日本経済を支えてきた産業が「成熟・停滞・衰退期」にあり、更に経済がグローバル化されたことである。つまり、日本だけが勝手に生きていけないことを意味する。要するに自分たちで解決できる問題と、どうしょうもない問題との背中合わせで会社経営をせねばならないということである。例えば日本が得意とする「もの作り」だけをしていれば安泰というわけではない。

  グローバル化で、会社は誰のものか、株主の物であると言う考え方が会社経営の中入り込んできた。日本人は金儲けを美化する風潮を卑しいと考えてきた部分があるが、拝金主義の国から、「儲ける会社・経営者がエライ!」という風潮が入り込んできた。経営者は短期評価で勝負に出ざるをえない状態にある。儲け方を知らない経営者は無能であると、株主はもちろんマスコミも叩く。経営の効率化が最優先され利益追求だけが会社経営の目的となっている。

  儲かるという文字は「人を信じている者が儲かる」と書かれている。為替変動に夜もオチオチ寝られないカネを信じるより、人を信じて儲けたいものだ。

0-2.組織は「縦」から「横」へ.視点は「個」へ変わる

  日本企業は組織でもって、高品質の製品を安く量産するのが得意であった。今後は、個人が持っている感性や知恵から筋の良いコンセプトを生み出せねばならない。それは、個人が持つ知的資産を共有しながら、夫々が持つ知恵を積み増して、技術革新等のイノベーションを起こせる組織のことである。

  記憶は定かでないが、とある経済雑誌に、「貴社の研究開発について何が問題なのか」と、経営幹部と現場の技術者に聞いてみたという記事を読んだことがある。

  経営幹部の不満は、我が社の技術者はサラリーマン化している。つまりベンチヤー精神が足らない事を嘆いている。一方、現場の技術者は、我が社の経営幹部には商品戦略とか技術戦略といった経営ピジョンが明確でないことを嘆いている。

  この期に及んで、お互いが責任をなすりつけ合っても仕方がない。経営者が悪い、社員が悪いと言ったところで時間の無駄である。経営者も社員も変わる必要がある。今後の会社経営は、個人の創造力が尊重される仕組みでなければ、会社は衰退して行く。そんな社会構造になってきたことは確かである。

  「黎明・成長期」は商品ニーズが明確であり、リスクがなかった。他社よりも早く成功させるだけが、全社共通の目標であった。「成熟・停滞期」では、これまでの商品ニーズは在るが、物があふれ、市場が小さくなっている。「衰退・変革期」は、市場ニーズが掴めない。

  経営幹部は、現場の技術者に対して“知恵を出して、儲かる商品を何でも良いから早く出せ!”という風になっている。ところが今更、急にそんな事を言われても無理である。なぜなら、自分で考え行動する訓練も教育も受けていない。これまではノルマだけが上から押し付けられ忠実に実行するのみであった。つまり、課題は上から与えられない限り仕事ができない体質になっているのだ。

0-3.市場が変わった

  いまは物が溢れた状態である。物が溢れると生活の仕方(スタイル)が大きく変わる。人々の価値観は多様化して変わって行く。勿論、仕事のやり方も、会社と社員との関わり方も変わ って来た。物が溢れるということは「成熟・停滞・衰退期」を迎えているわけだ。だから全てが変わる。

  いまは物が売れないわけではない。もう欲しい物が無いだけである。作り手側も消費者も欲しい物さがしをしている状態である。欲しいものがあれば消費者は買う。お正月の「福袋」は売れているそうだ。消費者は、「福袋」に何を求めているのか。この辺りにもヒントがありそうだ。

  高度経済成長期は、売れる物がハッキリと分かっていた。それを、他社よりもいち早く商品化し、しかも安く、更に便利な機能をつける競争に勝てばよかった。成功の暁には必ず売れるという保証があったから、本当の意味のリスクはなかった。

  今は違う。売れる保証(将来どうなるかわからない)の無い商品やサービスを考え、それに必要な新技術を生み出せねば成らない。これは大きなリスクである。日本の企業も「ハイリスク、ハイリタ-ン」の時代を迎えている。

0-4.だが、人の意識は、中々変われないでいる

  会社が変われば組織、そこで働く社員も変わらなければならない。ところが、なかなか変われないのが人の意識である。「俺は嫌だ!」と言って会社にしがみ付く方法もある。しかし、しがみ付くにも最近では特殊な能力が要るらしい。屈辱に耐える根性と、しがみ付ける体力である。

  こんな笑い話を聞いたことがある。”会社にぶら下がって生きていくには先ず腕の力がいる。酷いのになると折角ぶら下がっているのに、その指を一本ずつ外してくる輩がいる。油断をしない、スキを与えない、目立たない気配りがいる。指を一本ずつ外すぐらいでは、そう簡単には落ちない強者もいる。そこで、下からわざわざ足を引っ張る輩もでてくる。その足を払いのける粘りとキック力がいる。もう仕事どころではない。今後はただひたすらに、ぶら下がるための体力を鍛えるのみ、と“。随分と酷い世の中になったものだ。とかく大きな組織は面倒なことが多い。

  「黎明・成長期」における必要な人材は体力と根性のある人だった。「安定・成熟期」における必要な人材は、「ゴマスリ」と「忖度」と「ことなかれ主義」に徹する人である。今の時代、つまり「衰退・変革期」における必要な人材は、自分で考え、自ら行動できる人である。こ社員の値打ちも時代と共に変わる。社員だって将来の大器も、いまでは「自宅待機」に変わっている。

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