第3章:もしも自分が英語の教師だったら、どうする?
中学英語の学習目的は、英語を介して「文化」と「言語」への興味を持たせ日本人としての自分を意識し、日本語力の向上に役立たせることだと思う。英語学習に膨大な時間を要し多くの生徒が自分の持つ才能や能力を伸ばす機会から閉めだされているのはおかしい。美術や音楽と同じように学べると良い。
日本人は何故、英語が苦手なのか。モノの観かたや考え方の違いから発して日本語と英語の言語構造が違いすぎることにある。彼らは何故、そのような言い方をするのかを先ず知るべきである。闇雲に日本語で処理するやり方だけを教えていたのでは英語嫌いになるのは当然か。誰もが使える「AI翻訳」の進歩で英語の学習法は変われる。国際化の言語は第二母語としての論理的「平明日本語」が道具となる。
Ⅰ、壁は、言語構造の違い
日本での英語教育の最大の問題は、英文和訳という「学習」を強いているところにあると思われる。この作業は、英語文章を、日本語処理装置(日本語オペレーティングシステムOS)にかけ、日本語処理手順で英語文章を「解体」し、日本語順序に並べ直して、日本語文章として表現することにある。
コンピューター風に言えば、日本語OSでは、手順が違うので、処理できないことになる。処理不能の情報が入ってきたときの反応として、最も自然なのは、拒絶反応である。つまり、英語を言語として受け入れ処理することを、玄関口で締め出すという対応になっている。
日本語処理の頭で英語に接している場合、既にそれは言語としての英語ではなくなり、解剖対象の物体のようなものとなってしまっている。英文和訳の勉強は、英語の教科というより、むしろ国語の教科というべき状態にある。(引用:篠原語録20選)
生誕100年司馬遼太郎の現在地
司馬遼太郎インタビュー文科勲章受章発表の夜
朝日新聞社出版 2023年4月10日発行
この書籍の中で、司馬遼太郎さんが大阪外語大学で、モンゴル語を選んだ理由は、モンゴル語と日本語は言語構造が似ているからだと述べられている。なるほど、モンゴル出身のお相撲さんが日本語を流暢に話せる理由が分かった。司馬遼太郎さんは、日本語と英語の文章構造が違いすぎることが日本人の英語苦手を生みだしていること、そして日本の子供達への英語教育の在り方について心配されていた。
- 原文引用:
- 『日本人がモンゴル語をやるということは、フランス人が英語やドイツ語をやると言うことなんですね。(中略)ところが日本の少年は全然言語構造が違う英語をやったり、中国語を習ったりしています。これはもう毎日逆立ちをしているようなもんです。(中略)少年期に全く構造の違う英語を習わせて、生涯の後々まで苦になっている』。
