残しておきたい「補足資料」

第3章に関連する「補足資料」

英語の基本構造について

1),英語の論理性を教え
・英語は何故、そのような表現をするのか

2).英語思考を教える
・思考の順序が記述の順序に反映されることを認識し
・英語と日本語の記述(順序)の違いを徹底させ、
・英語の順序で内容を処理(把握することに慣れる。

3).英語文書の展開法とその構造を教える
・一つの文章を構造的に眺め分解し、主と従たる部分を認識
・いつもWhy,何かあったらWhy,
・構成要素は図解で分析する

オープンで開かれた「文明日本語」の必要性

言語を基盤にして「物・事・考え」を表現するのが人間である。母国語以外の言語で「モノ」を考え、その結果を表現するということは、特に日本語のように、西欧言語とその処理手順が大きく異なる言語を母国語としている我々には、大変な難事業となる。

英語を修得する目的の一つは、自分自身と属する集団(会社など)のための「インテリジェンス力」の向上にある。日本語というバイアス(bias)が掛かった情報で海外の事柄や外国の人々の考えを理解したつもりになることは、大きな危険をもたらす。

グロ-バル社会でもとめられることは、先ず、世界と橋渡しができる、言語をもう一つ持つべきである。橋を渡り終えたら、今度は日本文化に根差した日本語が武器となる。

技術や社会システムなどは、世界共通の普遍性を持つ「文明」といえる。これらを英語で表現できなければ、世界に対して権利の主張できないし、説明責任も果たせない。

(1)英語学習には、「文化日本語」と論理的英語の溝を埋める橋が必要である
(2)その橋はオープンな日本語、即ち「文明日本語」という存在である
(3)オープンな日本語を構築していくには英語の構造を知ることが大いに役立つ
(4)英語で、どのように表現しているかを知ることは、そのまま共通語としての英語で語られていることを理解できる力となる

世界の人々へ、誤解なく伝える為の論理力について

論理的思考の起点は、事実の把握を出発点とする。今生じていることは過去に生じた何らかの結果である。過去を知らずして状況把握は行えない。当然、分析も行えない。分析ができなければ問題点も出てこない。問題点が見つけられなければ、対策も考えられない。あるいは考える必要はない。

世界の人々へ、世界の共通分野での「物・事・考え」を伝えようとするなら、論理的に筋道つけて説明しないと、理解を得られない。「グローバル人材」を目指すなら、自分の説明に矛盾を生まない「論理的思考」を身につけ、自分のアタマで幾つかの答えを導き出せる「創造力」「思考力」を鍛えることである。

さすれば物事の本質が見え、物事を多面的に捉えられ、受身での仕事でなく前向きの仕事がこなせるようになる。それらの資質が課題を発見する力となる。そして進むべき道筋を幾つか見つけることができる。後はアレコレと実行してみることである。口先人間で終わることなく、その「行動力」が周り人からの信頼を受けることに繋がる。

つまり「論理力」は、事実を矛盾なく明確に伝えることが目的である。文才は必要ない。要するに日本文化に根ざした叙情的で美しい、あるいは阿吽の呼吸を期待した以心伝心の「文化日本語」でなく、世界へ「物、事、考え」を伝える為の平明日本語、即ち「文明日本語」で書けば済むことである。

英語学習は世界を眺める為の道具として捉える

国連(United Nations)が発表する各種の報告書は、英語の他にフランス語、スペイン語、ロシア語、中国語などで読むことができる。いつかも書いたが、残念ながら日本語では得られない。日本語を母語とする人口は世界の2%ぐらいの少数派だから、仕方がない。

英語は論理的だから羨ましい、という人がいる。英語は論理的である代償に、日本語のような、自然と共に生きながらの情緒、感性を表現することは難しい言語である。天は二物を与えないのだ。

ということで、悲観する必要はない。つまり学校で教える英語は、世界を眺める変わった道具として扱うのがよいのではないかと思う。例えば「理科」は自然科学の分野であり、この分野は文化としての言語の影響を最も受けにくいところだから、いっそ理科を英語で学んでみてはどうだろう。

理科の英語なら、「未来完了形」は出てこないし、それどころかほとんどの文章は現在形だから文法の「時制」に悩まされることはない。英語を母語とする人が使う「熟語」などもでてこないから、アメリカ文化、イギリス文化を知らなくとも、まったく問題ない。

この60年の日本における小学校、中学校の教育でもっとも特徴的なことは、「作文」という学科が国語の教科の中でのみ取り扱われてきたことにある。日本語で文章を書くわけだから、それが国語教科の範囲に置かれるのは当然であろう。しかし作文すべき対象は、音楽から体育まで全教科に置かれるべきであろう。それら教科であれば物事を論理的に考え、論理的に表現する指導と訓練が行われやすい。さすれば、今日、日本でみられるような英語苦手の惨状は防げたであろう。

これからの世界は羅針盤のない混迷の様相を示すだろう。われわれ日本人は大きな方向を定める力量はないかもしれないが、目の前の課題に対処していくことには長けている。われわれ日本人は大きな方向を定める力量はないかも知れないがとりあえず目の前の課題に対処していくことには長けている。日本人は何らかの問題があれば改善する努力は惜しまない民族である。