2. 1972年代に、発明くんが見た特許業界の景色

  先にも述べたが、発明くんが特許業界でお世話になったのが1972年である。1971年は、財団法人日本特許情報センターが設立された年である。我々業界人は「JAPATIC」と呼んでいた。特に「JAPATIC公開抄録」は、多くの企業が購入していたと記憶している。

  この「JAPATIC公開抄録」は特許庁が発行する公開特許公報(7 部門 14 区分)から抄録を作成して発行していた。発行形態は、A4 版一枚に 3 件、一冊で 100 件の公開特許情報が収録され、収録内容は抄録と図面である。価格は 2600 円/冊と高額であった。

  「JAPATIC公開抄録」の競合相手は、特許公報から書誌事項、請求項、図面等を切り貼りした日本発明資料株式会社(廃業)の「ダイジエスト版」であった。このサービス商品は、安価で多くの企業で採用されていた。特許業界の老舗、発明通信社は特許公報の複写サービスやクライアントからの要求に応えて特許公報の編集加工をしていた。

  中央光学出版株式会社は、発行順(番号順)に撮影した特許公報のマイクロ版を販売し、リコー「情報機材部」の競合でもあった。外国の特許情報サービスは、日本技術貿易株式会社の独断場であった。特許弁理士は、高嶺の花で、とてつもなく偉い人に見えた。


発明くんイラスト