3.「情報機材部」の特許データから派生した商品サービス

3-1.革命的商品:「特許総合索引(分類別・出願人別)」との御縁

  特許資料センター(個人経営)は、昭和28年から「日本特許公告年間索引(分類別・出願人別)」、 昭和46年から「日本特許公開年間索引(分類別・出願人別索引)」を日本で初めて作成した会社である。当初、コンピュータでの処理は不可能であったから、全てを手作業で編集し(切り貼り、タイプ打ち)製本印刷していた。その後、特許情報のデ-タは、リコー「情報機材部」から入手して発行するようになった。

  この「日本特許年間総合索引」は、特許庁の資料館をはじめ多くの企業に採用された。当時、特許調査をする手立ては、膨大な特許公報か番号順に並べた目次しかなく、この「特許年間総合索引」の役割は革命的であった。

  その後、特許情報のデータ化は、日本特許情報センター(財団法人JAPIOの前身)によって、コンピュータへの蓄積が充実した。「特許年間総合索引(年一度の発行)」は社団法人ジャパテックへ、「特許年間索引速報版(半月一度の発行)」は、特許資料センターからの発行と棲み分けられた。1980年、特許資料センターの創業者の引退により日本アイアール社が、その業務を引き継いだ。因みこの「特許年間索引速報版」は中国専利局をはじめ、各省の特許資料処(10 箇所)へ輸出された。

3-2.ダイヤモンド社「経営開発情報」

  いま流行りの IP ランドスケープ(商標登録)の考え方の原点であったと思う。当時の日本は高度経済成長期にあり、研究開発の競争は日本企業同士での戦いであった。従って、日本公開特許情報から関心テーマの情報を収取し、企業動向、技術動向を知ることで市場動向も把握できた。

  リコー「情報機材部」が蓄積した特許データを使って、レポート化された「経営開発情報し」を定期的に発行していた。運営方式は会員制で多くが大企業であった、日本企業が関心を寄せ注目されている技術の動向と市場の予測をそれぞれの専門家が、レポートを作成していた。それらレポートの信頼性を高めるのに特許データを分析する手法が取られた。