4.自分の営業ノルマを日本アイアールで賄う

  営業ノルマが達成できない時の営業会議は悲惨である。周りの冷たい視線はこたえる。毎月の定例営業会議は針のムシロである。このときだけは”すみません、来月こそは、なんかします!”とひたすら謝るしかない。

  当時、発明くんが売り歩いていた商品は「TPI 抄録集」であった。そう簡単に売れる商品ではなかった。しかも、原料は、日々発行される膨大な「公開特許公報」である。製作コストを回収できているとは思えなかった。但し「TPI 抄録」は、購読契約を頂くと毎月の売り上げに計上され、営業ノルマを支えてくれるという美味しい商品でもあった。新米の発明くんには、この売上ベースが無かった。

  営業ノルマを達成するには、どうすれば良いのか、ハチャメチャなアイデア(?)が閃いた。”発明くんの代わりに、誰かに売り上げを助けて貰えばいい”という案である。発明くん、自分を楽にする為の悪知恵は、再現なく出るようだ。発明くんの本質は怠け者かもしれない。

  思い浮かんだ相手が、初代日本アイアール社長になる伊藤さんである。発明くんの企みは、伊藤さんに会社を作って貰って、その会社で発明くんの営業ノルマを助けてくれる営業マンを雇ってもらい、発明くんが楽になるという言う虫の良い計画である。にもかかわらず、伊藤さんは、この話をいとも簡単に引き取ってくれた。

  発明くんは「情報機材部長(*)」にこう説明した。”いまの販売方法では、いつまで経っても赤字が増えるだけである。ここは販売代理店をつくって、積極的にチャネルを広げる必要があります”と、実にもっともらしく言い放った。部長の返事は意外にも「よきにはからえ」となった。
(*)以下、部長と表現する

  めでたく資本金30万円の日本アイアール社がスタートした。ここまでは良かったが、其の後が問題である。発明くんの誤算は、日本アイアールに入社した期待の営業マンが、業界の水が合わないのか” 頭が痛くなった”いと言って出社しなくなったことである。伊藤さんいわく、”お前さんが売ればいいではないか”てなことになり結局、自分で売り歩かなければならなくなった。状況は前よりも酷くなった。本当に間の抜けた話である。ズルイこと考えたらアカンという見本みたいなものである。バチが当たったに違いない。