6.日本アイアール複写センターの設立

  リコー特許部で特許公報の複写サービスをしながら、特許公報の複写サービスを他社へ勧めたらビジネスになるのでは、と考えるのは何ら不思議なことではない。但しそのビジネスを実現させるには日本アイアールの複写センターが必要である。

  当時、日アイアールの屋台骨を背負っていた早津さんから、日本アイアール複写センターの必要性と実現性についてアレコレと相談を受けていた。彼の話によると、特許公報を貯蔵する場所は、何とかなりそうだ。彼の知り合いで石橋さんという方が、自宅(川口市安行)の敷地に空き家と空き地があり、使い道に困っているらしい。要するに石橋さんは土地持ちである。しかし。大きな問題は、原料となる肝心要の特許公報が無いことである。

  発明くんは、「情報機材部」が貯蔵していた特許公報(*)の処分について部長に相談した。貯蔵スペースの確保が難しく、このまま貯蔵し続ける事は限界があり、処分にアタマを悩ましており、いずれ処分する考えがあることが分かった。
(*)入力された特許データとの確認で、時々使っていた程度で、殆ど使っていなかった。

  日本アイアールが、複写センターの設立を望んでいるならば、特許公報の払い下げは、やぶさかでない、つまり払下げは可能であることが分かった。こうして「情報機材部」が蓄積して眠 っていた特許公報の再利用を許可してくれた。但し全部門の特許公報が揃っているわけではない。不足の特許公報は、「情報機材部」の連中が、あっちこっちの企業から、処分に困 っている特許公報はありませんか、有れば引き取りますと、かき集めてくれることに成った。

  発明くんは早津さんに同行して石橋さんを訪ねた。石橋さんは、リコー事務機の修理を「業」していた。複写センターの話をすると、いとも簡単に「まあとにかくやりましょう」と請け合うのである。儲かるかどうかも説明しないうちに、「やりましょう、やりましょう」で決めてしまう。話が決まるのは悪いことではない。

  ちょうど自宅の隣に空き家と空き地があって、そこを改造、増築して工場にすればいいと話が決まった。石橋さんの奥さんが俄か工場長である。暇で身体の調子が狂ってしまうと言っていたので、俄か工場長の話に大変喜んでくれた。日本アイア-ルの公報複写センターはこれでスタ-トできた。名実ともに「日本アイア-ル安行複写センター」の誕生である。