7.苦し紛れで、自分が作った会社へ転出

  リコー「情報機材部」の特許情報サ-ビス事業が財団法人JAPIO(日本特許情報機構)と業務提携する案が持ち上がった。特許情報に関する商品サービスの開発と制作は JAPIOが行い、リコーは、ただ売るだけに徹しようというわけである。つまり特許データの蓄積を一本化させ、強化しようというのが狙いであった。早い話が「情報機材部」のリストラである。いよいよ「情報機材部」も風前の灯火か。

  部長は、永くこの仕事をやってきたみんなの気持ちも大切にしたい、という気持ちもあったようだ。それには「情報機材部」が自立できることを証明しなければならない。その覚悟がみんなにあるのか?となる。みんなは楽な方が良いに決まっている。ここは、JAPIOさんに頼った方が楽そうである。気持ちはそっちに傾いていたはずである。

  ところが誰かが、リコーの商品でこの仕事を続けたいと発言した。つまり我々も一生懸命やるから存続して欲しいという意味であったと思う。不思議なことに、こんな意見がポンと一つ出ると、なんとなく逆らえない雰囲気になるものだ。頑張ろうと言っている意見に反対すると、やる気のない奴と見られるのが困る。“このままやらせてください、頑張ります”が、みんなの総意として纏まった。だが、みんなが死に物狂いで仕事をするとは、贔屓目で見ても思えない。ただ「情報機材部」が楽で、居心地が良いから延命を企てただけのことであると思う。発明くんも同じだ。楽が良いに決まっている。

  部長は意外な展開にきっと驚いたはずである。その時の会議は、みんなの意見を尊重しようということで終わる。しかし結局は、JAPIOとの提携が決まり、部長は〇〇事業本部長へ転出していった。やがて情報機材部は〇〇〇営業部という、これも厄介者に吸収されて、「情報システム課」という格好いい名前へ変身した。要するに表紙だけ変えて、中身はもっとボロボロになった感じである。

  発明くんは、営業マンとして刺激のないサラリーマン生活を漫然と送っていた。いつ頃か定かでないが、リコーは35歳定年を打ち出した。この画期的なアドバルーンは、35歳で自分の進むべき道(やりたい仕事)を決めなさい、と言うのが目的で退職を促す制度ではなかった。しかし発明くんは、これをキッカケに、35歳でリコーを退職して日本アイアールに引き取ってもらった。こうやって書きながら不思議に思うことは、発明くんは、リコーでサラリ-マン生活をしながら徐々に自分の会社をつくっていたということである。リコーという会社は、実にありがたい会社である。退社後も何かと気に掛けてくれた。