8 初めて出した新商品、特許出願管理ソフト「MASYS―PA」

  このままでは日本アイアールは、ジリ貧である。新商品を開発するしかない。まだパソコンが出始めて間もない頃である。NEC 社の8ビットパソコン PC-88 で、特許出願台帳管理のソフト化を考えたのである。パソコンでの特許出願管理システムは、当社が元祖である。

  当時、汎用コンピュータを使って大きなシステムで運営している大きな会社はいくつかあったが、それをパソコンレベルでやってしまおうというわけである。ニーズは、あると読んだが、当社には、開発するお金もなければ技術者もいない。しかし発明くんは運がある。お客さんのご縁で山崎さんと知り合えた。偶然にも彼は、このアイデアに近いソフトを開発していた。新商品づくりは、人手なし、お金なしで一気に進んだ。

  このソフトを売る担当者としてパソコンの操作方法を知らないでは済まされない。発明くんは、仕事を終えてから社員に内緒で東京八重洲口にあったパソコン教室に通うことにした。満足なカタログは作れなかったが、お客の歓心は高く、多くの引き合いがあった。しかし、肝心要のパソコンが無い(高くて買えない)。デモストレーションをする場所もない。高島平にあるレンタル屋からパソコンを運んできては、狭くて汚い事務所(*)で、その都度、デモをした。

(*)とある大手企業の担当者が、日本アイアールの事務所を見て、”こんな酷い事務所で、やっているのか”と、同情してくれたらしく、日本アイアールの特許公報サービスを採用してくれた。これに似たようなケースが、その後もあった。やはり、嘘のない正直に商売することの大切さを痛感した。

  発明くんは、何事かを始めると夢中になってしまうところがある。「MASYS-PA」のことばかり考えていると、靴下の左右が違う靴下を履いていても、ズボン下の前後を逆に穿いて小用に困 っても、パジャマの上から背広を着ても、まったく懲りないでいる。カミさんが、パジャマがないと騒ぐので、そんなこと知ったことか、とズボンを脱ぐと、中から赤色のパジャマが出てきたこともある。電車なんかで座ると、裾から赤いものが「チラチラ」していたのかと思うと、冷や汗ものである。こんな人と、とてもじゃないが一緒に仕事なんかできないと言って、社員から見放されたとしても仕方がない。

補足:リコーがパソコンを発売した時期、このソフトを、「リコ―仕様」に組み替えて販売をしていた時期もあった。少しでもリコーに対してして恩返しがしたかった。その後、リコーパソコン事業の撤退により PC-98 シリ ーズに切り替え、現在に至る。