これまでの「篠原レポート」Ⅰ、Ⅱ,Ⅲ、Ⅳを整理すると、
- (1) 英語は、物事や考えを論理的に表現するのに適した言語である。
- (2) 英語は、論理的に記述するのに適した言語である。
- (3) 英語は、構造的にしかりした言語である。
- (4) 構造的であることは、表現の形式において自由度が少ないことである。
- (5) これは、外国語として学習しやすい言語、つまり、習う人の民族文化に影響されずに、頭でその法則を理解すれば学習の基本が得られるということになる。
- (6) 元来の英語には欠けていた人間の思索、技術、社会体制等を表現するための高度な単語をラテン語から借用してきて整えたので、完成度と普遍性をもっている言語である。
- (7) ということは、コンピュター(翻訳ソフト)にも易しい言語でもある。
- (8) 19世紀に始まった科学技術、工業化、システム化文明の時代は、論理的記述を必要とし、そのニーズに適した言語であった。
- (9) 同時にこの二十世紀は、英語を母語とする欧米が、圧倒的な政治、経済、軍事力の優越を維持し続けた世紀であった。この結果、米国式のグローバル化が急速に進展した。
- (10) グローバルなシステムを経営・運営するためには、そこで使われる言葉をできるだけ一本化することが効率上必要であった、それが英語である。
日本人はなぜ英語ができないのか 岩波新書622 鈴木孝夫著作
1999年7月19日第一刷発行 2021年3月8日 第21刷発行
『インドやフィリピンの人々がそもそも英語を学ぶようになったのは、一口で言えばイギリスやアメリカといった宗主国の人間が、彼らを統治し搾取する際に、自分たちの意思が相手に伝わらなくては困るから、彼らに英語を学ばせたためです。要するにそ宗主国の一方的な都合で英語を教えたのであって、支配される側の自発から出た額数ではありません』P100引用
読み書きができると、現地民に知恵が付き、統治に差しさわりが出るという支配者側が恐れたからだと思う。何れにせよ結果として、国際共通語である英語の位置は、ますます強固になる。英語習得において、日本人は世界の中でもっとも不利な条件下にある。我々がどれほど不利な戦いを強いられているかは、考えるだけでも憂鬱になるほどであるが、まさか今更、鎖国をするわけにもいかず、逃げるわけにはいかない。これは「戦いと共生」だから、この言語(武器)の扱いができるだけ上手になるように修得するしかない。